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JCCNC NEWS

March/April Edition

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第二回 若松コロニー




サクラメント近郊にある若松コロニーへ訪れたことはありますか。北米で最初の日本人コロニーであり、アメリカの地で埋葬された最初の日本人女性であるオケイ イトウの墓を有し、アメリカ国籍を持つ最初の日系アメリカ人の生誕地であり、日本国外で侍によって築かれた唯一のコロニーになります。

 1868年の戊辰戦争で敗れた会津藩の軍事顧問だったジョン・ヘンリー・シュネルが、日本の茶と絹を金鉱発掘の好景気に沸くカリフォルニアで栽培をして販売すれば成功すると藩主・松平容保へ提案して投資資金を確保したのが始まりです。敗戦により行き場を失ったシュネル家族と侍3家族そしてシュネルの子供のお守りとして当時17歳オケイの約20名がカリフォルニアを目指し、1869年にたくさんの茶の実と蚕を携えて船に乗り込みました。

 当時のカリフォルニアはゴールドラッシュに沸いており、近くの金採掘場では数千人もの人達が働いていました。シュネルが経営者で日本人が労働者という体制で、お茶絹栽培の農業ベンチャービジネスへ取り組もうとする小さな開拓団は、異質であり革新的でもありました。実際1890年以降になると多くの日本人がカリフォルニアに入植して農業ビジネスを成功させています。

 彼らは勤勉に働き初年度は上手くいったようですが、2年目には諸説ありますが天候不順、鉱山からの水源汚染、鉱山者とのいざこざ、低賃金への不満などで早々に資金が尽きてしまい事業化には失敗する結果となりました。シュネルは金策のため日本へ向かいますが、結局戻って来ませんでした。帰りを待ち残された日本人3名の内、会津藩士だった桜井松之助は近隣のVeerkamps家に生涯仕え、結婚することなくこの地で亡くなり、大工だった増水国之助は地元女性と結婚し、その末裔が今もカリフォルニアに住んでいます。オケイは2年後に病のため亡くなっています。10代で武家屋敷に奉公に出て、家族から離れて僅か19歳で異国の地で亡くなったオケイを想い、今も多くの方がお参りをされます。 

 ARC(American River Conservancy)のHerb Tanimotoさんからお話を伺いました。「若松コロニーは、日本人移民のパイオニアです。1870年に55名の日本人がアメリカ本土に居住していたとされ、内半分が若松コロニーのメンバーです。コロニー崩壊後に日本へ帰国した日本人の中には、ワイン醸造や缶詰の技法などを日本へ持ち帰った方々もいました。ARCでは若松コロニーの土地を歴史保存のため購入し、今も購入資金の残金を返済する必要があります。資料館として利用されているガーナー家邸では、イベントで利用するために新たにキッチンやワインセラーの設置などの修繕工事や、当時上手く行かなかったお茶の栽培を3年前から始めるなど実験的な取り組みも行なっています。」

 150周年を記念したWakamatsuFest150が6月6日から9日にかけて開催されます。資金面の支援を必要としているので、企業や個人の皆様からのサポートを頂ければ幸いです。イベントでは現在展示をしていない貴重な刀や藩旗の資料も各種展示予定とのことです。詳細は下記のホームページをご覧下さい。

https://www.arconservancy.org/wakafest150


「義に死すとも不義に生きず」会津若松の侍たちが政変により移民の道を選んだ歴史の一端を感じてみては如何でしょうか。

©2020 by Japanese Chamber of Commerce of Northern California. 

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