top of page

JCCNC NEWS

2025 July/August Edition

Consulate General of Japan

Mar / Apr

 

日系コミュニティを調査する?

 

在サンフランシスコ日本国総領事館

広報文化班

照屋雄介(専門調査員)

◆はじめに◆

 皆様初めまして。在サンフランシスコ総領事館で専門調査員を務める照屋と申します。よく「専門調査員って何するの?」「どこの省庁から出向してきたの?」とお会いした方に聞かれることがありますが、一言でお答えすると「日系コミュニティ関連のお仕事です」「どこの省庁からでもありません」ということになります。というのも、このポストは日本が世界各国に設置する在外公館に1-2名ほど設置されている嘱託ポジションで、政治・経済・文化といった分野で調査・研究に従事して外交活動に役立てるために日本から募集・派遣されています。ジョブ型の募集がなされるため、赴任国の状況に合わせて従事する仕事は様々ですが、私の場合はカリフォルニア州が全米でも大きな日系アメリカ人の人口を抱えていることから、日系アメリカ人の方々が作るコミュニティの現状を調べたり、歴史や文化活動について研究したりすることが主な業務となります。といっても、専門的な研究者とは異なり、資料をもとに定量的な調査を行うというよりは、まずは実際に歴史や文化活動に関わっている日系人の方に会って、お話を聞かせていただくことが主になります。


◆知っているようで知らない、日本人移民の歴史◆

さて、現在カリフォルニア州の在留邦人の数は14万人ほどですが、日系アメリカ人の人口はどのくらいかご存じでしょうか?正解は約48万人、うち当館が管轄する北カリフォルニア州は19万人ほどになります。これほど多く日本にルーツを持つアメリカ人の方々がカリフォルニア州に住まうに至ったのには歴史的な経緯があります。

在サンフランシスコ総領事館は、日本初の在外公館として今から150年以上前に設置されたという長い歴史を持ちますが、実は総領事館開設以前からこの地を訪れている日本人がいました。それが、1860年の咸臨丸と、1869年に設立された若松コロニーです。遣米使節団を乗せた咸臨丸は有名ですが、その9年後の若松コロニーは、名前のとおり会津若松から日本人移民によって開拓された北米初の入植地なのですが、あまり知名度が高くありません。明治維新の翌年には既にアメリカに移住する日本人がいたのですから、その行動力ははかりしれませんね。ともあれ、若松コロニーを皮切りに、1880年代には農業や工業、漁業などに従事するために日本人移民が続々と到来し、現在まで残る日系人コミュニティの原型を築き上げます。

しかし、アメリカに定着した日本人移民たちを二つの苦難が襲います。1つ目は、1924年に制定されたいわゆる「排日移民法」です。この法により、日本人が新しくアメリカに移民することが禁じられてしまいました。そのため、現在でも日系人の多くは1924年以前にアメリカに渡った移民一世を起点として二世、三世、四世・・・と比較的世代ごとの区分がはっきりしている傾向があります。2つ目は太平洋戦争開戦に伴う日系人の強制収容です。これにより、西海岸一帯に居住する日系人は、わずかな持ち物とともに内陸部の僻地に設立された収容所に移住させられ、多くがアメリカで築いた生活の基盤を失うことになりました。

こうした苦難の歴史を歩みつつも、戦後日系人のコミュニティは再建され、現在に至るまでお祭りや太鼓、年中行事といった日本の文化、そして日系人が辿った歴史がコミュニティの中で受け継がれてきました。


◆総領事館と日系コミュニティの関わり◆

 それでは、先述した日系人の歴史を踏まえて、総領事館はどのような活動をしているのでしょうか。ここではJCCNCと関わりのある二つの行事を例に出しましょう。一つ目は、コルマ日本人墓地の清掃です。この墓地には咸臨丸の航海中に亡くなった水夫をはじめ、19世紀から現代までの日本人・日系人のお墓があり、地元の日系コミュニティと日本国の双方にとって歴史的に重要な場所です。このような場所を日本人・日系人一体となって掃き清め、翌週の加州日本人慈恵会主催の慰霊祭で死者を慰めることは、先人たちへ敬意を示す日本文化の表れであり、また日米の現在の友好関係を再確認する上でも大きな意味を持ちます。


コルマ日本人墓地の一画には、アメリカで亡くなった咸臨丸の3人の水夫(峰吉、富蔵、源之助)のお墓があります。


二つ目の式典は、隔年で総領事館がJCCNC主催のツアーに同行するマンザナール収容所跡の訪問です。私は昨年の4月に大隅前総領事とともに参加させていただきました。マンザナール収容所は、先述のとおり戦時中に日系人が強制収容されたキャンプの一つです。地理的には一応カリフォルニア州内ですが、温暖なベイエリアとはうってかわったシエラネバダ山脈に囲まれた荒涼とした砂漠地帯であり、かつて収容所を囲んでいた鉄条網が撤去された現在でも逃げ場のない大自然の牢獄といった雰囲気があります。マンザナール収容所はかつての収容所群の中で最初に元収容者の子孫による訪問が行われ、かつての収容所施設の保存と展示が最も進んでいるため、非常に象徴的な史跡です。ロサンゼルスからバスで4時間ほどと楽な行程ではありませんが、毎年開催される慰霊式典の際は日米を問わず様々な方が訪れて歴史を学び、80年前のおよそ1万人の収容者に思いをはせます。

 

マンザナール収容所の慰霊塔前での献花式。とにかく寒かった思い出しかありません。


暗い歴史の話ばかりしてしまいましたが、過去にあった出来事を知るということは、相互理解の第一歩です。そして、外交は相互理解なしには何も成し遂げることができません。日米両国がお互いをより良く知るために、日系コミュニティの歴史を学び、それを周知していくことが私の仕事です。

 

◆おわりに◆

 ここまで読んでいただきありがとうございました。「日系人の歴史を学ぶ」といっても、片道4時間もかかる史跡や博物館を訪問することだけが方法ではありません。もし本稿を読んでご関心が湧かれたなら、皆様の近所で開催されている桜祭りやお盆祭り、餅つき等地元の日系コミュニティ主催の催し物に遊びに行ってみてください。遠く太平洋を渡った先とは思えないような日本的な光景が広がっています。筆者個人の話をすると、沖縄県出身の生粋のうちなーんちゅなので、仕事や仕事以外でこちらの沖縄県人会の集まりにお邪魔して、琉球舞踊やエイサーを楽しませていただいています。皆様も週末のちょっとした外出から「日米親善」、してみませんか?

 

北カリフォルニア沖縄県人会で乾杯の音頭をとる筆者。



©2020 by Japanese Chamber of Commerce of Northern California. 

bottom of page