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2025 July/August Edition

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Jul / Aug

広報委員会

広報委員会より Tanforan Memorial

 

 

2025年8月15日、終戦から80年を迎えました。平和の尊さについて今一度考えるべく、JCCNC Newsletterアーカイブから2019年11/12月号掲載の『歴史探索』記事を再掲します。


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広報委員会 

『歴史探索』第七回 

タンフォラン仮収容所


広報委員 

ネリー朋子


サンフランシスコ国際空港の近くにあるタンフォラン・ショッピング・モールをご存知ですか? モールとなる前のタンフォランは色々な顔を持っていました。


1899年から1964年までには競技場として、第一次世界大戦中は軍事訓練センターとして使われていました。第二次世界大戦中は、米国に住む日系人の強制収容政策が行われましたが、強制収容所の建設中に仮収容所として使われていました。今から77年前の1942年4月28日から10月13日までの5か月半の間、7,816人もの日系人がタンフォラン仮収容所に拘留されていました。


是枝豊三郎氏は強制収容所の不当性を訴えた権利擁護活動家として有名ですが、彼もタンフォラン仮収容所で過ごした一人です。


真珠湾攻撃から約2か月半後の1942年2月19日に、ルーズベルト大統領が、軍が必要な場合に強制的に外国人を隔離することを承認する、という大統領命令に署名をしました。 在米ドイツ人やイタリア人の収容者は短期間で釈放されましたが、日系人の収容は長期におよびました。また、不動産や自動車などの私有財産を含む全ての財産の放棄や売却を余儀なくされました。全米で約12万人の日系人が強制的に生活立ち退きを命ぜられ、強制収容所に送られました。3分の2の拘留者は米国で生まれ育ち、米国を祖国と思っている日系アメリカ人でした。


タンフォラン仮収容所では馬小屋や兵舎を宿舎として使いました。馬糞の悪臭が漂う空間で、藁で作った布団に寝て、鉄線の塀や監視塔が張られた環境で、汚れたトイレに座る時も、どんな気持ちで過ごしたのか、何の罪も犯していないのに…。ただ日系人というだけで財産だけでなく人権や自由までも奪われ、罪人として扱われた先人たちを思うと、言葉に言い表せない思いで胸が詰まります。


このモールには小さな石碑が残っているだけで*、仮収容所だったという痕跡は見当たりません。このような歴史が繰り返されない為にも、私達の先人が残した大切な足跡を忘れないで心に覚えておきたいですね。


タンフォランの一角で日系人仮収容所を想って
タンフォランの一角で日系人仮収容所を想って
日系人の大きな歴史が刻まれた小さな石碑
日系人の大きな歴史が刻まれた小さな石碑

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(*注) 現在はTanforan Memorialとして整備が進み、当時の施設を再現した物や、収容所に向かう家族写真を基に作成された幼い姉妹の銅像なども設置されています。


2022年10月撮影
2022年10月撮影

2022年10月撮影
2022年10月撮影


©2020 by Japanese Chamber of Commerce of Northern California. 

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